パプア秘境の旅  

2018・6月2日~6日

1 ラウンジで厄落とし
 6月2日、午後4時半に家を出て成田空港へ。
 税関をぶじ通過して、出発まで時間があるのでラウンジで夕食を取ることにした。
 プラスチックの軽いトレイに寿司やサンドイッチ・サラダ・生ビールなどをのせ、(そうそう、お箸も)と箸ものせた。その時、うしろに相棒(夫)がやってきて、やはり箸を取ろうとしていた。わたしは親切にも相棒に箸を取ってやろうとした。
 ところが、わたしのひじが相棒のトレイにほんのちょっとふれたらしい。トレイはすべすべの床に落ち、ガッチャーンと大音響をあげた。人が4~5名しかいない静か~なラウンジだった。お盆はみごとなほど小さな破片になってくだけた。乗っていた寿司やサラダなどがすべすべの床に飛び散った。なぜか、生ジョッキーだけは相棒がさっと持ち、ぶじだった。
 スタッフのお姉さんたちがとんできて、割れ物を片付け、何度も床を拭いていた。わたしは相棒におこられながら何度もお姉さんたちにあやまったよ。ふ~

 それにしても普通のしっかりしたトレイならちょっとふれたくらいで落ちるかね? 第一、落ちたくらいで割れないし。やっぱ、こういうところで経費削減なんだなあ。
 再び、トレイに食べるものを用意してテーブルに着いた。ビールで乾杯しながら、わたしは相棒に、「これで旅の厄おとしになるといいね」と言った。相棒はシブイ顔でうなずいた。

2 猫ホテルで朝食

 約7時間のフライトで、午前4時ころパプアニューギニアの首都・ポートモレスビーに到着。時差は1時間。
 機内ではあまり 眠れなかった。自分のベッドでもなかなか眠れないわたしだからしょうがないね。空港で入国手続きしているのはほとんど黒人の人たちだった。世界中の観光地を闊歩している日本人の姿はなかった。わたしは、(ああ、パプアに来たんだなあ)という感慨にふけった。
 空港では黒人のラディ(Rudy)さんが迎えに来てくれた。ラディさんは20年前、浜松で3か月日本語研修を受けた後、茨木県で1年間農業研修として牧場で働いたそうだ。なめらかな日本語で助かった。パプアは英語は通じないそうだ。わたしはぺらぺらでないから関係ないけどね。
 ともあれ、空港近くのホテルで朝食をとった。
 といっても、わたしらはいつも朝食ぬきの1日二食のベジタリアンだから、ジュースくらいだ。しかし、メタボ気味の相棒はしっかり食べていた。
 パプアは平均気温30度だから、暑さ対策はしてきたけど、この朝は寒かった。ホテルの庭のプールにはだれもいなかった。南国情緒の庭を見ながらジュースを飲んでいると、とつぜん、ギャアオーのおたけび。ドドドッと食堂の天井を走る物音。ネコだ!と思い、わたしはうれしくなった。
 ところが相棒は、「客を早く追い出すためのBGMだ」といじわるなことを言う。(そんなことするかなあ)と思っている間もギャオオ、ドドドッは続いた。
 なんでもすぐ聞く癖のあるわたしはラディさんに、「あれ、なんですか」と聞きに行った。すると、やはり、猫とのこと。「その猫、見たいんですけど」と言ったら、店の人が、「天井裏だから見れません」だって。時々、庭のプールのあたりをうろうろしていることもあるそうだ。日本ならありえないね。ノラ猫たちを追い出さないパプアの人たちはいいなあ。

3 国内機でゴロカ(Goroka)へ

 わたしらはパプアではゴロカ観光が主だ。国際空港ポートモレスビーから国内機でゴロカへ飛んだ。
 ゴロカ空港では日本人の見形明美(みかたあけみ)さんが待っていてくれた。見形さんは学生だった頃、海外で働きたいと思い、研修で知り合ったパプア人の男性と結婚してパプアに住み着いたという。
「彼のどこがよかったんですか」と聞いたら、見形さんは「若気の至りで」と 笑っていた。見形さんはパプア語が流ちょうでとてもパワフルな人で、何を聞いても明るくしっかり説明してくれた。

 わたしらは小型のワゴン車で、(相棒と見形さん・運転手さんの4人だけ)まず自然の展望台へ案内された。
 360度の展望で、遠くにうす紫色の山々が連なっている。青い空に白い雲がたなびき、日本の山頂での風景より広い感じがした。
 パプアは800もの部族を白人たちが無理にまとめて一つの国にしたので、今でも部族闘争がたえないそうだ。言語もたくさんあるからなかなか通じにくい。去年、選挙があったけれど、ちゃんとした民主主義はいきわたっていなくて、(人の国のことはいえない、日本もそうだ)だれに投票したかで、殺人事件になったという。
 見形さんは「むりにひとつにまとめられても、その後遺症は果てしなく大きい」と言っていた。

 わたしらが歩いていると、はだしの子どもたちが4~5人ついてくる。いっしょに写真をとらせてもらった。かれらの表情はものうげで哲学的に見えた。年を聞いたら、6才・7才・10才くらいだった。背は小さいけど、表情が大人のような哀愁を帯びていて心に残った。

 畑道のようなところを歩いていると、ノラ豚やノラ山羊がいた。あまり大きくはない。ノラとはいっても、人が飼っているのだそうだ。自分でえさを探して食べるのだから助かるよね。少しは飼い主もエサをやっているようだけど。鶏も自由にそのへんを歩いてエサをつついていた。日本でいえば地鶏かな。
 パプアではノラ犬をたくさん見た。つながれているのはいなかった。あまり大きくなくスリムだった。目はおだやかで、実は犬恐怖症のわたしでもこわくなかった。パプアでは緑の中に鳥もふくめて生き物であふれていてそれだけでも、ゆったりくつろげた。

 展望台の手前に30人くらいの大人が集まっていて、ビンゴを真剣にやっていた。中心になった人がなにか叫ぶと、盤に石をのせていく。先に石がうまった人に、賭けていたわずかなお金がいく。だから、みんなの顔は真剣だった。ほかのレジャーがない土地だからいいヒマつぶしかな。近くでおばあさんが焼き芋みたいな食べ物を売っていた。カジノよりずっと健康的かな。

4 マッドマン

 村に入り、コーヒーの木やサツマイモ・パイナップル・バナナなどの畑を見た。
 パプアではサツマイモが主食だ。肉や魚はほとんど食べない。高地に住んでいるので魚は捕れないしね。それでもパプアの人たちはすごく筋肉質の体だった。見形さんは、「パプアの人たちの腸にはサツマイモの繊維をタンパク質に変える腸内細菌がいるのかもしれない」と言っていた。わたしもそう思う。

 それに、サツマイモなど野菜はすべて、「肥料はノー」だからいいなあ。わたしは300坪ちかくの荒れ地を借りて畑をやっている。肥料ノーだったら、野菜は黄色く貧弱でとても食べられないので、バチルス菌入りの有機肥料や化成肥料もつかっている。肥料代はかなり高額だ。買ったほうが断然安い! しかししかし、農薬はゼロだからね。安心して食べられるし、旨い! きょうは畑へ行きたくないなあ。ゴロゴロしていたいなあと思う日でも、「水やりしないと発芽しない」「野菜が草に負けてしまう」という時は畑へ行かざるをえない。結果として、健康にはいい。畑を始めてからわたしはすこぶる健康になった。まさに、「畑さま」なのよ。
 パプアの人たちは、いわゆるわたしら文明人のような保存料や着色料などの添加物質はとらないし食べ過ぎもないから、だいたい老衰で死んでいく。死期が近づくとまわりはそうっとしておく。抗がん剤も投与されないし手術もされないから苦しまずに自然に死んでいくそうだ。              
                       
 見学も終わり、広場の芝生の木椅子に腰かけていた。そろそろホテルに帰りたいなと思っていたら、植物の葉で作られた家の陰からあやしいものが槍を持ってヘンな格好をしながらあらわれた。よく見ると、裸の体にどろをぬりたくり、頭にヘンな顔した重そうな仮面をかぶっている。腰は乾いた葉で日本のふんどしふうに巻いていた。
 マッドマンのショーが始まったのだ! 
マッドマンは腰をさげゆっくりした動作で藪かげにいると想定した敵をねらいながらやってくる。とてもぶきみだった。
 そのうち、マッドマンは二人三人…とふえていき、わたしらが腰かけている後ろからもあらわれたりしてぎょっとした。総勢7人で戦いの演技をした。焚火のまわりで踊ったり、わたしらに槍(植物でつくった穂先)で刺すまねをされたりして本気でこわかった。
 この風習は、もともと弱小な彼らの部族が敵におそわれた時に泥沼に倒れ、起き上がって敵の方を見たら、敵が彼らを魔物とかんちがいして逃げ去ったところから生まれたそうだ。

 ショーのあとは屋根だけの休憩所で『ムームー料理』をいただいた。
 焚火の中にバナナの皮をたくさん敷き、そのうえにサツマイモやそのへんに生えているシダの葉や野菜、鶏肉などを焼いたものだ。サツマイモはいろいろな種類があり、ほくほくしててこんなおいしいサツマイモは初めてだった。
 わたしの腸はサツマイモ好きで、サツマイモを食べているとお通じ満点。それで、どこへいくにもサツマイモを持参するのよ。けれど、パプアでは必要なかったね。
 とにかく、バナナの葉におおわれ水をたっぷりかけられて蒸されたムームー料理はおなかにも優しく天下一品だった。たくさん残ったので、わたしは「持ち帰ってもいいですか」と聞きたかったが、がまんした。まわりにマッドマンや子どもがわたしらの食べ終わるのを待っていたようだったから。彼らにとっても大ごちそうにちがいないものね。事実、わたしらが休憩所を出ると、彼らが残さずきれいに食べていた。

 あとで見形さんに、「ムームー料理は最高でしたね。残ったサツマイモもいただきたかったけどがまんしました」と言ったら、あっけらかんと「あら、言えばよかったのに」と言ってくれた。おみやげにしたいほどおいしかったと思われる方がよかったのかなあ?
5 あなぼこ道

 ホテルまでの道は大きな穴だらけでワゴン車は穴を遠回りしながらゆっくり進んだ。それでもがくんがくん大揺れに揺れた。数十年前の日本の田舎道もこうだったかな。
 大揺れのワゴン車の中、見形さんはよくしゃべった。わたしなら舌をかんでしまうところだ。感心しながら聞いた。
 パプアでは『呪い』がはばをきかせているそうだ。いわゆる黒魔術を信じている。だれかが死ぬと、「あいつに呪われたから」ということになりがち。
 数年前、一家四人がつぎつぎと亡くなった。ある女の子の呪いのせいだということで、女の子はつかまえられ、裸にされて火あぶりにされたそうだ。(新聞にも載ったらしい)驚きを通りこした禍々しい悲惨な事件だ。
 パプアは『精霊の島』とも言われ、目に見えない霊なるものが存在しているとは思う。日本にもね。目に見えないものの方が多いかもしれない。でも、『呪い』はいやだなあ。ほんとうのワルは身近な人より、権力の中枢にいるよなあ。だれとは言わないけど。

6 アイロンつきのホテル

 ようやくホテルについた。
 門に門番がいて門を開けてくれた。厳重だ。ホテルは山を抱えていて緑の中にあった。
 大きな葉の熱帯植物の奥からフイフイキュルルルッと野趣たっぷりの鳥の声。この鳥はホテルにいる間ずっと聞こえた。ホテルに住みついているのね。
 夕食は食堂でブロッコリーの炒め物・エビ炒めサラダ・オニオンリング・スチームライスなどをいただいた。二人で127キナ(約5千円)野菜が新鮮でおいしかった。
 部屋にもどり、シャワーを浴びたり洗濯をしたり。わたしはどこへ行っても必ず洗濯をする。翌日には乾くから。ところが、パプアでは乾かなかった。湿気が多いからかなあ。
 相棒が、「ドライヤーで乾かしたら」と言ったので、やってみた。ちょっとマシ。そのうち、相棒が、「アイロン台があるからアイロンの方が早く乾くよ」と言った。やってみたらその通りだった。アイロンを使うなんて何十年ぶりかね。若い時はおしゃれにリキを入れていたものね。

7 驚異の博物館めぐり

 翌日は見形さんの案内で博物館めぐりをした。
 中に入る前に庭に生えている植物の説明を職員からしてもらった。バナナの原種、家を作るための繊維の丈夫な植物、コーヒーの木、パイナップルの植え方などたくさん話してもらった。日本では役に立たないから、わたしは覚える気はなかったが、見形さんは興味しんしんで質問していた。

 博物館の中は一見地味だが、見形さんの説明を聞くと深い意味があった。
 死者の弔い方が独特で、死者の脳を食べる風習があった。そのためクール病になって脳がすかすかになってしまうことをイギリスのプリオンという人が発見したそうだ。つまり、狂牛病とおなじだよね。2002年には根絶したそうだけど。
 また、死者の手や指を乾燥させてネックレスなどにして飾る風習もあり、館内にも展示されていた。なんと、男性のコーガンまでネックレスにしていて仰天した。
 パプアには極楽鳥が36種もいて、パプアの人たちは極楽鳥を先祖と思い、極楽鳥風の髪飾りをつくってかぶったりするそうだ。
 死者を入れて乾かす長い篭もあった。落ちた肉を体になすりつけたり、骨を飾りにしたり…。おどろいて言葉も出なくなってしまう。
「片目・片足・片手」の半神半人をあらわす『精霊』の像もあった。
 黒魔術用のMagic Stonもあった。
 草から塩(塩化カリウム)をつくるしかけもあった。
 弓矢もあったが、今でもいざという時につかわれている。いつでも戦闘態勢に入れるように、たとえば選挙の後とかに。
 まあとにかく、日本での博物館見学とは次元の違う強烈な体験だった。

8 トレーラーが横倒しになったら、荷はみんなのもの!

 博物館から外を見ると、砂利道が大きくカーブしていた。そこへ大きいトラックがやってきた。見形さんが「あれ、横倒しにならないかな」と言って真剣に見つめた。そんな簡単に横倒しになるわけないよなと思ったら、そうでもないようだ。見形さんいわく、
「車が横倒しになって、荷物がそのへんにばらまかれると、どこからともなく人が大勢やってきてその荷を持ち帰るのよ」
チョコレート・コーラ・菓子類・雑貨・石油などなんでも。大きなトレーラーが横倒しになると、そこに集まった人用にアイスや水を売る店まででるそうだ。石油なんかを入れるためにふだんから入れ物も用意しているんだな。運転手はどこかへトンズラしてしまう。なんともおかしくマンガチックなこと。ぜひ、その場面を見たかったよ。

9 青空市場

 広い広い市場へ案内された。
 土の上に敷物をしいて、野菜や衣類・食料などを売っていた。さつま芋にもたくさんの種類があった。なにしろ、パプアでは主食だから。焼き芋がおいしいということで買った。あとで食べてみたら本当においしかった。ムームー焼きとはまた違ったおいしさだった。もちろん、日本でわたしが毎日食べているさつま芋とは雲泥の差だった。
 雨上がりだったので、下は泥だらけのところもあったが、みんな気にしないでたくさんの人が行き来していた。自分で育てたほんの数キロの芋などを一山2キネ(80円くらい)で売っていた。屋根のある所には衣類が飾られていた。市場の広さは見渡す限りというか、学校のグラウンド5個分くらいはあったかな。そこを、わたしらは靴を泥だらけにしながら歩きまわった。
 ガイドは見形さんがしてくれたけど、ほかにもう一人、ジョンさんという黒人のスタッフがわたしらの後についてきた。おのぼりさんのわたしらが現地のワルにねらわれないようにガードマンになってくれていたのだ。

10 精霊の山へ

 三日目はオプションで精霊の山へ登った。
 つきそいはきのうガードマンになってくれたジョンさんとその山の持ち主のマッドマン!

 裸で泥を塗り、頭には極楽鳥ふうのかざりをかぶり、つえを持っていた。
 1700mだけど、登り始めがすでに1400mの高地なので、正味300mだけ。
 それでも細い山道や岩場があって、うっかりするとすべったり転んだりする。しかも登山靴でないので、注意して登った。あぶない岩場はマッドマンが手をかしてくれた。
 とちゅう、ジョンさんが咲いていたマリーゴールドの花を指さし、
「この花を熱湯に5分間ひたしてから目をこすると、目がよくなる。アメリカ人に教えたら、彼は2か月続けて目が治ったというメールをくれた」そうだ。
 わたしは「ほんまかいな」と思ったけど、ジョンさんは何回も言う。「ちゃんとやったら、めがねとさよならね」とも。100パーセント信じたわけではないけど、試してみる価値はあるかなと思い、日本へ帰ってからマリーゴールドの種を買い、蒔いてみた。今(6月21日現在)3センチくらいに育っている。

 とちゅう、ジョンさんは小鳥を見つけ、枝を曲げて即席の槍を作り、ぴゅっと小鳥をねらって飛ばした。あたらなかったけど、鋭い勢いだった。日本でもずっと前は子どもたちが弓やパチンコをつくって小鳥をねらったものだけど、今はスマホとゲームに熱中だ。野生の勘は限りなくゼロに近いかなあ。

 巨大な岩を登り、頂上にあがった。そこには岩穴があり、昔は家族100人くらいが住んでいたそうだ。今は土砂でほとんど埋まっていた。
 頂上からのながめは、360度の展望、遠くに濃紺の山々、群青の空に白い雲がたなびいている。すばらしい絶景だった!

11 ホテルの庭 とパプアの治安

 夕方にはホテルの庭を散歩した。
 裏手からあぶなげな橋をわたり、山道に入った。うっそうと木が茂り、だれも歩いていないからこわいくらい。もともと山歩きがすきなわたしらで、歩き心地はよかったけどね。南国情緒たっぷりの山で、厚く大きい葉が茂り、緑が濃かった。
 山道をあがっていくと、コンクリートの道になった。別荘のような、ホテル関係者の家のような建物に何軒も行きあたった。どこまでホテルか私有地か区別がつかない。人もいて、「こっちへ来ないで!」という動作もされた。
 ホテルの門の方まで下がっていくと、そこは厳重な門があって、門番がいた。彼に、わたしら二人の写真を記念に撮ってもらった。

 パプアの治安はよくなくて、旅行者だけでは歩けないのが残念だった。結果、ホテルの庭山散策でガマンいうことになったわけ。

12  11人の登山隊

  わたしらより一週間早くパプアニューギニアに入り、そこで一番高い山(4700mくらい)に登っている日本人がいた。若い女性3人をふくめて11人の一行だという。帰りのフライトが同じだというので、会えるのを期待して待っていた。

 帰りは、ゴロカ空港から国内機で首都ポートモレスビーの国際空港まで飛んだ。
 そこで11人に会えた。ツアーの募集で集まった人たちなので、知らない人同士がほとんどらしかった。女性二人は友だち同士でよくしゃべっていた。二十代の人もいて、わたしが、
「そんなに若いうちにパプアの4000メートル級の山を登るなんてすごいというか、しあわせですね」と言ったら、「ふだん一生懸命はたらいて質素に暮らして、お金を貯めているんですよ」とのこと。
 今回12日間の旅で約38万円支払ったという。山を登るときは、一人にガイドとつきそいがついたそうだ。岩場などはしっかり手をひいてもらったので危険ではなかったって。つまり、11人×3で総勢33人の登山だったんだなあ。

 おじさんたちはリタイアした人が多かった。仕事の関係で海外にいる方が多いという人がいらっしゃった。弁士のように流ちょうにさまざまな体験をおもしろく語ってくれた。ところが、わたしは具体的に何一つおぼえていないのがふしぎ。しゃきしゃきとよく動くおじさんの顔をじっと見ていたから、顔はよくおぼえているけど。

13 帰国

 ゴロカ空港で予定時間よりすいぶん長く待った。成田行きの飛行機に間に合うかしらと心配したが、ぎりぎりで飛行機が到着した。
 なんとゴロカ空港では初めてだというジェット機だった。(今まではプロペラ機)
 ほっとして乗りこんだら、わたしのチケットの番号の席がない! まわりの人はどうだったか、席はけっこうすいていたので騒がず、そのへんの席に座った。チケットの座席番号は関係なかったのね。

 それからめでたく無事にポートモレスビー空港に到着。
 ポートモレスビーを発ったのは午後早かったので、成田空港へ到着したのは午後8時半。夜中のフライトは辛いけど、日中でよかった。成田線に乗って家に着いたのが午後十時過ぎ。
 赤道に近いパプアでは寒いくらい涼しかったのに、日本へついたら暑かった。
 
 ともあれ、初日のトレイひっくり返し事件以外、たいしたトラブルがなく、無事わが家に帰還できてよかったよかった。

 P.S ホテルで最後の夜、酒を飲んでパプアの精霊について大ゲンカし、二人とも一睡もできなかったことをのぞいたら花丸。


         

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