タイ・貧乏うかうか旅
2017/12月19日~22日
師走も押し迫った19日の早朝、成田線に乗って成田空港へ。タイへ出発さ。
深い理由はなくて、一年に一回は日本語の通じない土地へいって錆びついた脳を活性化させたいのよ。
いよいよタイのスクート航空へ乗りこんだ。ふつうはすぐにワインとかの飲み物がでるのだが、何も出ない。そのうち、食事のオーダーがあって、わたしら(相棒とふたり)はベジタリアン(魚は食べるよ)なので、ビーンズ(豆類)のカレーをたのんだ。出てきたのは悲しいほど小さなパックに入ったそれとチョコレート、水。
わたしはあっという間に食べ終えた。カレーが辛かったので、のどが渇いた。それで、アテンダントに「水ください」と頼んだら、彼女は320mlの小びんを持ってきて、「360円です」と言った。まだ先は長いので、「じゃあ、いりません」とは言えなくてしぶしぶ買った。
この飛行機はなんなのだ? わたしは腰が弱いので、エコノミー席には座れなくていつもビジネス席なの。だから、乗ったとたんに酒や水は飲み放題がほとんどだったのよ…。
さて、いよいよ着陸が近づいてから相棒が言うには、バンコクの空港には現地のスタッフはだれもこないとのこと。では、ホテルまで自力でいかなければならない。バンコクはすごい交通渋滞すると聞いている。アテンダントに聞いたら、「お客様はたいがいタクシーでホテルまでいかれます」と言う。それは楽そうだけど、渋滞のタクシーには乗りたくないわさ。
それで、バスや電車を乗り継いで行こうということにした。。タイ語はわからないし、はたして片言の英語で行けるのか? まあ、がんばるしかない。必死に日本から持っていったバンコクの地図を見た。小さい文字で細かく英語とカタカナで書いてある。けど、わたしには近老眼でほとんど読めない。ああ、今日中にホテルに着けるだろうか? 飛行機が空港に到着するのは午後6時ころでどんどん暗くなる一方だし。
それで、空港の検問を出ると、すぐ観光案内のような窓口をさがしてホテルへの行き方を聞いた。大柄のお兄さんがメモ用紙に空港の出口とバスの乗り場、次の地下鉄の乗り場を書いてくれ、交通案内地図もくれた。それを見ながらなんとかホテルにたどりついた。現地時間で午後8時過ぎ。日本時間だと10時過ぎ。わたしの就寝時刻よ。ふ~
ホテルの部屋は小さくて、ガスやお皿・スプーン・フォークなどがある。まるで山小屋のようなふんいきだ。きっとホテルで自炊する人もいるんだな。こういうホテルもおもしろいかと考えた。
ところが、汗を流そうと浴室を見たらシャワーしかない。そのシャワーもぽとぽとしか流れない。ええっ、なにこれ?
それでもぼとぼとシャワーで汗を流してから、隣のスーパーから買ってきたビールで乾杯した。その時、相棒の言うには、「スクート航空ってLCCなんだなあ」つまり、格安航空。ああ、水もムダにくばらないで、経費を安くあげているのか。
それはそれで大事だと思うけどね。わたしらはめんどうくさがり屋でふだんはチョウ質素でシンプルな生活をしている。それで、一年に一回だけぜいたくをしようという時はまいるなあ。
また、相棒いわく。「ホテルは下から二番目に安いところをえらんだよ。駅に近くてべんりだとかきこみがあったから」ええ~
そういえば、コンビニで旅行費用を支払った時、「えらく安いなあ」と思ったけど、なんやかやでばたばたしていたから、すぐ忘れた。しかも、タイへ行くと決めたのがたった二週間前だった。旅行会社からは一度メールがきただけ。旅行に必要な書類(日程やホテル宿泊届書など)は相棒がプリントアウトしたし。前日、さすがに「この旅行、だれかにだまされているんでないの?」と不安になって、旅行会社に電話したら、「ああ、あした出発ですね」と軽かった。安いのも大事だけど、こんなじゃあ旅行のふんいきになれないよなあ。
12月20日 上天気
昨晩はぐっすり眠れた。超寝つきの悪いわたしにとっては数年に一回くらいしかないほどよく眠れた。きのうはたいして体を動かしてもいないのにふしぎ。
さて、きょうの予定はバンコク市内にある王宮見学だ。約4キロの距離だから歩いていくことにした。車がじゃんじゃん走る広い車道わきの歩道を歩いていく。歩道の広さは日本とそう変わらないけど、石畳がでこぼこしていてうっかりするとけつまづく。それに、車のラッシュで車道はうるさいし、排気ガスがもうもうでくさい。ウエストポーチの中をさがしたら、マスクが出てきてよかった。
気管支の弱い相棒はマスクなし。きのう新しいのを渡してあげたのに持ってこなかったんだって。(それで、相棒は1週間ぐらい苦しむことになる)
とちゅう、道端に出店があって(バンコクにはとても多い)サツマイモとバナナ揚げが売っていた。サツマイモはわたしのだいじなだいじなお通じ剤。日本からも持ってきたけど、喜んで二本買った。
どんどん王宮に向かって歩き続けたけど、なにしろ道が悪いのでつかれた。だんだん膝も痛くなってきた。とちゅう、古びたビルがあり、戸口まで広いエントランスになっていたので、そこの植え込みレンガに腰をおろして休んだ。
相棒がしきりにスマホのシャッターを押している。相棒はとにかく、たくさん写真を撮る。なんでそんなつまらないものまで写すの?と思っているうちに猛烈にハラがすいてきた。それで、さっき買ったサツマイモを食べ始めた。相棒があきれて、「こんな空気の悪いところでよく食べられるな」といった。そして、「どうせ、また歯も磨くんだろう」と言って、自分も焼き芋を食べ始めた。わたしに付き合う人は、食べた後の歯磨き時間も覚悟しなければならないのだよ。
どうせ、歯を磨くのならバナナ焼きも食べてしまおうと思った。ところが、見かけのわりにバナナ焼きは表面が堅く、中は芋がまじっていてまずかった。しかたないね。
とにかくもハラに物が入ったらまた歩く気力が出てきた。
どんどん歩き続け、ホテルから出発して2時間くらいで王宮に着いた。王宮はそんなに高くない白い壁に囲まれていて、見張りがたくさんいた。修学旅行生もたくさんいた。小学校くらいから高校生くらいまで。高校生は先生の話を座って聞くとき、日本のような体育座りでなく座禅のような座り方だった、女子も男子も。ああ、タイに来たんだ!という感慨がわいた。
王宮はとめどなく広かったけど、見学者も限りなく多かった。出口の門からクジラが口から人を吐き出すようにぞろぞろ出てくる。ふと、日本でいったら皇居見学にあたるなと気づいた。わたしは皇居を見学する趣味はないから、王宮も苦労してみる必要もないかと思った。白壁の上から金きらの塔のさきっぽが見える。タイの空はスカイブルーだから金が映える。しかし、美的ではない。まあ、個人の趣味の問題だけどね。わざわざ、高い入場料をはらって金きらを見る必要もないか。そう思ったらどっと疲れが出て、さっさとホテルに帰りたくなった。
相棒もとくに中を見たかったわけでないらしく、帰ることにした。
王宮の前に公園があり、涼しそうだったので休むことにした。木陰に腰をおろしたら猛烈に眠くなった。シートがないので、スーパーの袋をしいて腰をおろして休んだだけ。ここで昼寝したらいい気持ちだろうなあと思ったが、残念。
5~6分休んで歩道にもどった。もう帰りは歩く気がしない。つかれて膝も痛い。バスに乗ろうとバス停で待っていたら、タクシーが止まった。わたしらの目ざすファランボン駅まで200バーツだそうだ。日本円で約800円。それならいいかとすぐ乗った。運転手さんは感じのいい人だった。タクシーは渋滞の中20分くらいで駅に着いた。そこから地下鉄に乗って帰った。
ホテルはスカイトレーナーの駅からくて5分ほど。地下鉄だとまたスカイトレーナーに乗り換えなけらばならない。バンコクの地図は日本から持っていったのも小さい字でごちゃごちゃかいてあるので、近老眼のわたしにはほとんど読めない。相棒は地図に強くてほんとに助かった。わたしは方向オンチでもあるので、ホテルまでの帰り道を何回歩いてもおぼえられない。相棒はどんどんさっさと歩いていくので助かるが、時にど~んと大間違いをすることがあるので、わたしもぼーっとしてはいられないのよ。
とにかく、午後3時ちょっと前にはホテル前のトップス(スーパー)に着いた。昼食は焼き芋とバナナ焼きだけだったので、トップスに入ってサラダ・鯖弁当・酢わかめ・豆腐とビールを買おうとした。ところが、レジのお姉さんはビールはだめというではないか! わたしはわけがわからなかった。昨晩はちゃんと買えたのよ。相棒はレジの前に貼り紙をみて納得した。つまり、AM11時~PM3時まではアルコール類は販売禁止。はあ~、さすが仏教国だからかと感心はしたが。
まあ、しかし、きのう飲み残したビールが1本だけあるからと気を取り直してホテルにもどった。じょぼじょぼしか出ないシャワーを浴びて汗を流したら少しはすっきりしたので、おそい昼食をとったよ。
そのあと、少し昼寝をしてから絵葉書を書いた。身内の5人にね。いつも旅に出た時はそうするのさ。そして、はがきを投函するのは帰りの空港と決めた。
去年、パラオからエアメールを出した時、3週間以上たってからやっと着いたのよ。考えるに、海外では日本のようにポストがあちこちにあるわけではない。わたしらが泊まったホテルの近くにもなくて2駅行ったところにあるらしい。
今まで、どこへ行ってもホテルのカウンターに気軽にはがきをあずけてきた。しかし、ホテルの人もいそがしいし、すぐポストに投函してくれるわけでもないだろう。
それなら、帰国する時、自分で現地の空港で投函するのが一番まちがいないというものだ。ただ、うちらふたりともうっかり者だから、エアーメールを成田まで持ち帰ったということにもなりかねない。だから、忘れないようにけっこう緊張したよ。最終日、バンコクの空港でポストを見つけるのにとても苦労することにもなったし。
さて、絵葉書を書いた後、おもむろにホテルを出て今夜の晩餐会場をさがした。
相棒がスマホで一生懸命さがした海鮮店は有名でもう予約がいっぱいだった。しかたなく、ぶらぶら歩いて探した。運のいいことに、ホテルからほんの5分ほどのわき道にオーガニックの店があった。一階がオーガニックの野菜スーパーで二階がレストラン。経営者が日本人らしく、看板に日本語でも書いてあった。
さっそく入って二階にあがったが、まず食事後に歯を磨けるお手洗いがあるかどうかタイ人のスタッフに聞いた。二階にお手洗いらしきところがなかったからね。しかし、うまく英語がつうじなくてらちがあかない。そのうち、日本人のオーナーがやってきた。感じのいい若い男性だった。歯磨きは一階でも三階でもできるとのこと。やっと安心して吹き抜けのシャンデリアが見えるいい座席にすわった。
タイではシーハービールがうまかったので、それで乾杯。料理は野菜や貝中心のサラダや炒め物を注文した。どれもボリュームたっぷりでとてもおいしかった。合計、約5000円也。
きょうの歩数は17,250歩。高尾山登山並みか。
タイ時間で午後10時ころ、ベッドに入った。
そのうち、スマホ操作していた相棒もベッドに入り、眠ったようだ。わたしは(きょうも快眠できそうだな)と思った時、たいへんなことに気づいた。旅程は三泊四日だが、四日目の22日は午前0:30がバンコク空港からのフライト時刻だ。そしたら、あしたはこのホテルには泊まらずに夜の8時過ぎには空港に向かわなければならない。あしたはバンコクから100キロくらいはなれたアユタヤという世界遺産を観に行くことにしているのだが。
バンコクへ帰ってきたら、そのまま空港へ行かなければならない。旅程には3泊と書いてあるから、わたしは三日目もこのホテルに泊まるつもりでいた。しかし、ホテルに泊まって朝起きたら、もう成田行きの飛行機は飛び去ったあと! ではないか?
相棒はわかっているのだろうか。相棒も泊まるつもりでいたら大変なことになる。わたしは相棒を起こして確かめたくなった。しかし、やめた。相棒もひどく寝つきのわるいタチだからかわいそうだ。あした起きたらすぐ確かめよう。
そんなこと思っていたら、外で時々ワアッとかギャアとかの騒ぎ声が聞こえてきた。とても眠れそうにない。相棒はすやすや眠っている。そうだ、相棒は寝る前、耳栓をしていた。わたしは小物入れの中を調べたら、耳栓が入っていた! 耳栓のおかげでめでたく安眠できた。
タイ 最終日
朝起きて着替えた後、相棒に聞いた。
「たいへんんことに気がついたんだけど、きょうもこのホテルに泊まるつもり?」
相棒はけげんな顔して旅程表を見た。
「3泊と書いてあるからな」
「でも、あしたは午前0:30がフライトだから、のんきに泊っていたらどうなるかね?」
「こりゃあ、誤解しやすいよなあ」
「とにかく、きょうは午後8時過ぎには空港に向かい、空港でゆっくりした方が安全だよ」
それからはアユタヤへ行っている間、大きなリュックをどうするか問題になった。ふつうならホテルが預かってくれるけど、このホテルはわからない。うまく交渉するしかない。
出かける前に、冷蔵庫に入れておいた豆腐・ブルーベリー・トマトを食べた。わたしらはふだん朝食は食べないのだけれど、冷蔵庫は空っぽにしなければならないから。残っていたビールまで朝から飲んだ。荷はなるべく軽くしたいからね。
それからすっかり部屋をきれいにし、荷物を全部持ってフロアへ行った。
荷物預けを交渉すると、スタッフが旅程表を見て、「今夜もお泊りですよ」と言った。
ああ、それで思い出した。三日目はゆっくり泊まるわけではないが、部屋はとってあるのだと。二日間、バンコクをふらふらしている間にすっかり忘れていた。それで、もう一度、部屋にもどってリュックを置いた。早めにアユタヤからもどれたら、シャワーを浴び、少し昼寝もしてから空港へ向かえる。
近くのファロンボーン駅からスカイトレインでMOTITO(モチト)へ。約40分。
そこからアユタヤ行きのバス停まで歩き始めたけれど、なかなか着かない。そのうち、三差路にバイクヤロー(おじさんたち)がいて、バス停まで一人60バーツ(240円)という看板が立っている。相棒がおじさんたちに聞いたところによると、歩くと4キロくらいあるそうだ。排気ガスの中をね。
それで、一人ずつおじさんのバイクのケツに乗せてもらい、走り始めた。渋滞している車の間をすりぬけていく。走っている車やバイクにぶつかったら大怪我か死亡!わたしはおじさんの腰にしがみつき、両膝がおじさんの幅よりはみださないように必死に股でおじさんの尻をはさんだ。おじさんはびゅんびゅん飛ばす。時には歩道も走り、広い車道をUターンしたり。スリル満点だ。若い時だってこんなことしたことないよ。
まあ、無事にバス停まで着き、ほっとした。記念にバイクおじさんと記念写真をぱちり。
そこからめでたく、バスに乗ることができた。バスには車掌さんが乗っていて切符を売っている。がっちりした女性で安心感がある。よく乗客を見ていた。
無事、アユタヤの世界遺産に到着した。涅槃像や有名なワトムラマハット(木の根に仏像の顔がうまっている)ワトプラシーサンペット(アユタヤで一番有名な世界遺産)の3つをトクトクで回ることにした。トクトクは自動三輪車で外がよく見える。600バーツ(2400円)で交渉成立。
途中、海鮮料理店に入り、昼食をとった。海鮮料理でうまかった。
おなかも満足したので、トクトクに乗ってまず、ワトムラマハットへ。
入場料50バーツ(200円)払って遺跡をめぐる。木の根にうまったような仏像のまわりにはたくさん人が集まって写真を撮っていた。はじっこで相棒の写真もぱちり。4~5百年経った遺跡らしいけど、茶色の壁だか石だかの建物は今も崩れ続けているのだろう。紺碧の青空の中の廃墟は悲壮感がなくて「諸行無常」を明るく受けとめられた。
次はワトプラシーサンペット。ここも入場料は50バーツ。一番人気の世界遺産だ。高い高い塔が立ち並んでいる。トクトクの運転手さんが気をきかせてくれて何枚も写真をとってくれた。
最後は涅槃像。ここは無料。大きな仏像が金色の衣をまとって寝ていらっしゃる。その造形やお顔はあんまりありがたそうではなかった。(しつれい!)
ぶじ見終り、トクトクに乗ってアユタヤ駅にもどった。ホテル近くの駅まで、タイで初めての鉄道に乗ってみることにした。パンフレットによると、「鉄道で優雅な旅を」とあったからね。
しかしながら、ちょうど列車は出たばかりで1時間半待ち。駅舎のベンチで休んだ。駅にはつながれていない犬がゆったり寝ていたり歩きまわったりしている。うしろのおじさんが焼き鳥を食べていたら犬が近寄った。でも、おじさんはあげない。わたしはオーガニックのパンを持っていたのでちぎってやってみたが、犬は見向きもしない。
すると、おじさんたちが串からレバーを3こはずしてわたしにくれたではないか! わたしは大喜びで犬にやった。犬はくいついてきた。おじさんたちが笑った。わたしも笑って「サンキュ!」レバーがなくなると、犬はさっさとどこかへいってしまったが。
駅舎はひろく、ホームへ出るのも自由。ホームにもたくさんのベンチがあった。ひまなのでぶらぶら歩いていくと、ホームのさきっぽに白い犬が寝ていた。わたしが近づいてもびくともしない。そばにむくつけきおじさんたちがしゃべっていたが、犬を空気のように感じているようだ。ほかにも犬が数匹ぶらりぶらり歩きまわっていた。タイにいる間、紐つきのペットとは会わなかった。
タイは仏教徒の国?だから生き物を大事にするのだろうか?暑いから犬も人間もゆったりしていて、細かいことは気にしないのだろうか。こののんびりした空気のためか、ほんとうに体の細胞のすみずみまでリラックスできた。だから、タイでは超寝つきの悪いわたしががことんと眠れたのかなあ。
一時間半待って、列車は定刻通り走り出した。
わたしらふたりがオレンジ色の座席の車両にこしをおろして外をながめていたら、車掌さんがやってきたので、切符をさしだした。するご、彼は「隣の車両へ行け」と合図した。わけわからないまま、隣へ移った。となりは青い座席でやや混んでいた。しかし、座れた。
雰囲気はこちらの方が明るくてリラックスしている。それにしても、パンフレットには鉄道は全部指定席だと書いてあったので、切符のどの番号が指定席の番号なのかを乗る前に相棒とずいぶん議論した。ところが、オレンジシートも青シートにも番号は書かれていなかった。
わたしが、「オレンジと青は何が違うのかねえ」と言うと、相棒が、
「あっちは冷房が入っていた」とこたえた。
「そうだったかなあ。でも、あっちは暗い感じだったから、わたしはこっちがいいなあ」
とにかく、座席をさがしていたら、太ったおじさんが席を移動してくれて、わたしら二人分が空いた。ところが、よく見ると、おじさんがのいた後の座席にびっしりほこりがたまっている。相棒は気にしないで腰をおろした。わたしは目の前におじさんが座っていて申し訳なかったが、ズボンがよごれて洗濯するのが嫌なので、ハンカチでほこりをふいた。ハンカチがこげ茶色になった。
窓を見たら、窓ガラスもそうとうほこりで汚れている。わたしはマスクをした。気管支が弱いからね。
列車は窓からほこりをたっぷり吸いこみながら順調に進んでいった。
とちゅう、巨大なコンクリートの橋脚が並んでいた。高速道路か新幹線がひかれるのだろうか。そうなったら、便利かもしれないけど、今のタイののびやかな空気は失われてしまうだろうな。
さあ、終点のモチト駅直前までやってきた。そして、列車は停止した。なんの放送もない。あっても意味がわからなかっただろうけどね。30分ほど待ってやっと動き出した。わたしはあせった。そもそもアユタヤで一時間半待ち、ここで30分も待ったので、合計2時間のロスだ。ホテルへ帰ったら大急ぎで空港へ向かわな刈ればならない。ホテルでシャワーどころではないではないか。それに、バンコクの夜の最後の晩餐もあぶない。
とにかく、モチト駅から大急ぎでスカイトレーナーに乗り、ホテルに急いだ。
午後8時には空港に向かおうと思っていたが、それまで一時間ちょっとある。大急ぎでシャワーを浴び、リュックを持った。予定通りに変えれたら、新しいシーツのベッドで少しは昼寝できるかなと期待していたけど、残念。でも、晩餐は食べられる。
きのうと同じオーガニックの店へ急いだ。きのうと違うメニューを選び、またシーハービールで乾杯。チャーハンぽいご飯もうまかったし、海鮮サラダもボリュームたっぷりでよかった。店内で記念写真を撮ってもらい、予定の時刻通り空港へ向かった。ほっ!
空港へ着いて、エアメールを投函するポストを警備員に聞きながらさがしたけど、見つからない。3人目に掃除婦のおばさんに聞いたらそばまで連れて行ってくれた。日本のポストの半分くらいの小さくて赤い透明な箱だった。中身が透けて見える。しかも大きくひびわれていて、ガムテープで貼られていた。あまりにも小さくごそまつでわたしらの目に入らなかったのだ。壁に大きく立派に「TIARND POSTO」という看板があったけどね。
空港ではフライトまで2時間くらい時間があったので、待合室の座席でぼうっとすわったり、横になったりしていた。
そのうち、離陸の時刻近づいてきた。相棒が「26ゲートだ」というので、その近くへ行った。こちらのシートの方がいい。早くこっちに来ればよかったと思いながらゆっくり待った。ところが、出発時刻まであと10分くらいしかないのに、フライトの案内放送がない。変に思って、チケットをよく見ると、「25番ゲート」とあるではないか!
すなおに待っていたら、乗り逃がしてしまうところだった。タイは日本みたいにていねいにしつこく案内したり、スタッフが探しに来たりしないだろうからね。そういえば、成田行きのはずなのに、日本人がだれもいなかったよ。そこで気がつけばよかったのにね。
とにかく、あわてて25番ゲートに行ったら、もうわたしらが最後くらいだった。ふ~
さて、帰りの飛行機でまた同じ「ビーンズカレー」と、こんどはビールをたのんだ。ここまではビジネスクラスのサービスだ。食後、夜中の二時ころだったので、寝ようと思い、「ブランケット」(毛布)をたのんだ。すると、アテンダントは「5ドル」(550円)と言うではないか!びっくりしてやめた。
☆タイでは人はみんな親切だった。
鉄道や地下鉄など日本とちがってカードやコインを買って乗るのだが、その自動販売機もむずかしいし、改札口の通り方もむずかしかった。わたしらがまごまごして時間がかかるので、後ろの人に先にやってもらおうとわきに退くと、後ろの人がかならず親切に教えてくれた。ある時はカードを買った後、改札口を通るまでじっとついてくれたりした。通勤途中のお姉さんもね。
☆タイは「若い国」という印象が強かった。電車や地下鉄は若い人がほとんどだった。通勤時間もそうでない時も。日本みたいなラッシュアワーにも乗ってみた。そして、「こういう時の表情はおなじだな」と思った。
☆タイ旅行ではタイ通貨のバーツに両替したのは3万円。そして、1万円近く余った。
つまり、3泊四日の旅行中つかったのは、2万円ちょっと。一人1万円ちょっと。食事と交通費でね。少ないでしょ。節約旅行だったでしょう。
ツアやタクシーを安易に使っていたら簡単だけど、とてもこれじゃあすまない。
地元の地下鉄やバス・スカイトレーナーなどで苦労して行ったので、タイの人たちにもたくさんお世話になり、深く思い出に残った。つましい旅っていいものだなあとしみじみ。
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