青の都 サマルカンド

「青の都」サマルカンド記

 一年に一度の脳リフレッシュ旅行、 ことしはウズベキスタンのサマルカンドです。
 「青の都」「イスラーム世界の宝石」などと言われ、シルクロードの中心都市です。
 いつもはどきどきしないけれど、サマルカンドにはときめきながら出発しました。

 紀元前のアレキサンドロス大王の遠征で世界に名を知られ、13世紀のチンギスハーンの攻撃で都市を壊滅され、ティムールがよみがえらせた美しい「東方の真珠」ともいわれているサマルカンドですからね。

1 いざ、出発

 9月17日、早朝5時半に家を出、成田線に乗って成田空港へ。
 いつもは2人だけの勝手気ままな旅行だったけれど、今回はなんと38人もの団体さんです。それも、学生さんから母娘連れ、夫婦、ひとり者と20代から80代までさまざまな構成メンバーでした。サマルカンドは人気があるのだなあ。
 添乗員は滝口亮さん。中東専門のテキパキ男性です。
 9:15に成田空港を出発し、大韓航空で韓国のインチョン空港を経由して、ウズベキスタンの首都・タシケントへ向かいます。

2時間半後にインチョン空港に到着。
インチョン空港は去年フィジーへ行った時も寄っています。成田空港の2倍くらいあるそうで、東南アジアのハブ空港になっています。
 ここでは2時間の滞在だったので、家族や友人にメールをうちました。相棒のジェミニPDFというポケットパソコンなのですが、人のパソコンの上に海外のせいか記号や文字がちゃんと出てこなくて苦労しました。

 午後3時過ぎ、タシケントに向かって離陸。
 7時間半かかって到着しました。つかれました。相棒はよく眠っていたけれど、寝つきの悪いわたしはずっと起きていたのです。
 そして、なにも動いていないのに、2回の機内食を完食しました。

2 首都 タシケント

 午後11時近く、タシケント空港に到着。
 団体の38人なので、荷物受け取りでそうとう待ちました。わたしら二人はリュックだけなので、ひたすら36人の同行者を待っていたわけです。いつもの二人旅行だとすぐ空港を出られるのですが。
 ベンチにすわってきょろきょろしていたら、目鼻立ちのくっきりしたすごい美人を見つけました。中東に来ているのだなあという感慨をもちました。
 さあ、全員の荷がそろい、バスの前で現地ガイドのオリムさんが出迎えてくれました。浅黒い大きな男性です。バスに乗ってダニエルヒル・ホテルに向かいました。

 ホテルについても、 旅行案内に書いてあったような寒暖の差はなく、日本の夏と同じで蒸し暑かったです。日本との時差は−4時間で午後10:30。日本時間では翌日のAM2:30です。きょうは早朝5時前から動いているので、もうくたくたのぼろぼろ。シャワーを浴び、ストレッチをしてすぐ寝ました。
 夜中、のどがひりひりして目がさめたけれど、ホテル常備のペットボトルのふたが開かないでこまりました。すうすうと安眠している相棒を起こすわけにもいかず、根性出してやっと開けて飲んだのが朝の5時過ぎ。
 朝食が6:15(早い!)となっているので、もう寝るわけにもいかずストレッチを始めました。ふ〜

 朝食の定刻より2分早く行ったのに、もう食堂につづく階段に旅行客がずらりとならんでいます。たぶん、同行の人たちだと思ったけれど、まだ顔をおぼえていないし、頭がぼうっとしていたので挨拶もせず並びました。
 時間になり、食堂に入ると、並んでいたみなさんはあっという間に窓側にいい席に物をおいて席を確保し、ビュッフェにならびました。相当旅慣れている感じです。うちらも旅慣れているはずなのに、出遅れて残りの席にハンカチをおきました。みなさん、よく眠れたんだなあ。
 ビュッフェの料理はサラダやケーキ・パン・おかゆもどきなどで、味もまあまあでした。
 駅へ向かう車は7:00発なので、大急ぎでたべました。もともと、うちらはふだん朝食はとらないのだけれど、お昼が13時過ぎになりそうなので、むりして食べたのです。

3 「青の都」サマルカンドへ

 食後、すぐにタシケントの駅に向かい、高速鉄道に乗ってサマルカンドに向かいました。2時間10分。
 列車では退職した商社マンが前の席にのりました。彼は仕事で世界中を旅したことをぼそぼそした声でしゃべってくれました。話からするとそうとうなやり手だったらしいのですが、声が小さくて聞こえず、わたしはなんども聞きなおしました。世界の各地の地名や人名が何気なくでてきて、有能な商社マンだったんだなと感じました。けれど、言葉が聞き取りにくくて、リアルな仕事内容はよくわからなかったことがざんねんです。
 そして、驚いたことに彼の今の住まいが我孫子の隣りの柏市で、かつてよく行き来した場所です。

 さあ、サマルカンド駅に到着しました。
 これからは3日間同じバスにお世話になります。みなさんは大きなトランクをバスの荷物入れに入れてもらっていました。
 バスの中でガイドのオリムさんがウズベキスタンの概要について説明してくれました。ウズベキスタンのまわりに、カザフスタンやトルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタンなどと『〜スタン』のつく国がありますが、スタンというのは土地という意味だそうです。
 また、ウズベキスタンは小学校から大学まで教育費が無料だというのがとても印象深かったです。日本も見習ってほしい!

 とうとう憧れのサマルカンドの市街地に到着しました。
 まず、レストランで昼食をとりました。
 大きなテーブルに十人くらいずつつきました。わたしのすぐそばに大学生の可愛い娘さんが2人いました。可愛かったので、わたしがその席を選んだというのが正しいかな。
 どういうふうに話しかけようと思いながら食べていると、相棒が、
「ふたりともよく似ているけれど、きょうだいなの?」
と聞きました。すると、
「ちがいます。大学の同級生です」とのこと。
 それから、話がはじまりました。サマルカンドは日本から遠く旅費が高かったので、めちゃくちゃアルバイトをしたとのこと。それにしても、初めての海外旅行にサマルカンドを選んだのはすごいなあと思いました。

 昼食後、ウルグベク天文台跡やアフラシャブ博物館を見ました。
 ウルグベクはサマルカンドをよみがえらせえたティムールの孫で、自身も一流の天文学者でした。しかし、政治の方は今ひとつで、政争の末、実の息子に謀殺されたのです。
 アフラシャブ博物館には、7世紀、当時のオアシス都市だったサマルカンドの繁栄ぶりが描かれています。青地を背景にひとこぶラクダに乗った外国人の使節・白鳥・ゾウに乗った花嫁などが描かれていました。
 建物の外観は青い石でモザイク模様に飾られていて美しく、「ああ、中東に来たんだ」と実感しました。
 わたしは街全体が青い石の建築かなと想像していたのですが、歴史的建造物だけが青のモザイクで飾られていました。たまに、デパートなどの一部が青い石で飾られていましたが。

 次はスーパーへ。
 わたしらはビールくらいしか買わなかったけれど、ほかのみなさんはノート・ハンカチ・ペンなどを袋いっぱい買っていました。1円が80スム(ウズベキスタン通貨)くらいで、ひどく安い。ノートなどはおみやげにしても可愛くていいなと思いましたが、時すでにおそし。集合時間になってしまいました。そのあとはホテルへ直行です。

 ホテルでの夕食はピラフなど。
 わたしらはベジタリアンなので、肉の入っていないピラフを用意してもらいました。
 あしたの集合は朝8:00なので、こんやはゆっくり眠れるかな。
 とにかく、サマルカンドは砂漠地帯で暑いので、妙につかれました。

4 世界遺産の「シャフリサブス観光」

 サマルカンドから南西の都市シャフリサブスへタクシーで約100キロ・1時間半です。
 38人が10台くらいのタクシーに便乗していきました。わたしらは司書をしているという男性といっしょでした。彼は関西風のなまりでよくしゃべってくれて楽しかったです。
 アクサライ宮殿やドルッティロバット建築群・ドルッサオダット建築群の観光が目的です。

 シャフリサブスは1336年、英雄ティムールの生まれたところ。
 ティムールは世界の支配者となったあともこの故郷をわすれず、サマルカンドに引けを取らない壮大な建築群を建設しました。けれど、16世紀に嫉妬にかられたアブドール・ハンに破壊されたという。
 アクサライ宮殿跡には巨大なティムール像がわれら観光客を見下ろしていました。

 ドルッティロバット建築群は青いドームのモスク、それに向き合ったふたつの廟がならんでいます。けれど、とにかく暑くてじっくり廟を見学するより日かげにいました。

 ドルサオダット建築群は、ティムールが22歳の若さで戦死した長男のために建てた巨大な廟。ティムールは自分の墓室も用意したのすが、自身はサマルカンドに葬られたそうです。
 無信心なわたしらはお墓をみるのはもう腹いっぱいという境地でした。

 午後2時には、またタクシーに乗ってサマルカンドに向かいました。

5 壮大豪華なプロジェクション・マッピング

 夕食では伝統的な民族舞踊ディナーショウを見ました。レストランの庭の一角で男女が踊ったり歌ったりしました。最後に、美しい踊り手がわたしら観客も踊るようにさそいました。
 内気なわたしは遠慮したけれど、せっかくサマルカンドまできたのだから、いっしょに踊ればよかったのにと後悔しました。

 そのあと、予定に入っていなかったプロジェクション・マッピングを観に行くことになりました。つまり、レギスタン広場でのイルミネーション・ショーです。
 小学生たちの団体のためにおこなうショーを、わたしら観光客もご相伴させてもらうのです。
 広場に着いたら学生たちのためには椅子がだされていて、ほかのたくさんの観光客は広場の段差などに腰をおろして待ちました。

 いよいよ始まりました。
 一番有名で美しいティラカリ・メドレセという神学校の建物を背景にして、ライトが照らされました。だんだん、光でラクダや兵隊・武将などが映しだされました。
 クレオパトラ・ネフェルティティ・ティムール・アレキサンドロス大王など歴史上の人物が巨大に迫ってきます。
 わたしはプロジェクションマッピングは初めてなので、平らなスクリーンではないのに、どうしてあんなに立体的に像が躍動できるのかふしぎでした。
 紀元前から現代の世界の有名な映像を、次から次とうつしだしていくで、圧倒され、ぼうっとみとれていました。ただでこんなすばらしいショーを見せてもらっていいのかしらと思いました。
 最後の方に、日本語で「ようこそ」という文字もでてきました。
 つかれましたが、きれいなものを見せてもらえた満足感いっぱいでホテルに帰りました。

6 レギスタン広場

 レギスタン広場は昨夜、プロジェクション・マッピングがおこなわれたところです。
 レギスタンは砂地という意味。ここはサマルカンドの商業の中心であり、主要道路の交差点でもあるそうです。
 たくさんのメドレセ(神学校)の中で、ティラカリ・メドレセが一番印象に残りました。金色に輝く内装、丸いドーム型の天井は黄金色に輝いています。細かく掘られた模様の技巧がすばらしい! そもそもティラカリが(金箔された)という意味だそうです。
 わたしは世界のあちらこちらを旅行してきましたが、人工的な美しさではここが一番かなと感じました。

 レギスタン広場にはティラカリ・メドレセを中央にして、ウルグベク・メドレセとシェルドレ・メドレセという神学校が左右に建てられています。紺碧の空に、青い石をつかった建物がとてもよく映えていて、(ああ、今まさに中東の地にいるのだなあ)という感慨を強くもちました。

7 4日目は地下鉄乗車体験など

 翌日は、またバスに乗ってタシケントへもどりました。
 タシケントではウズベキスタン歴史博物館の見学です。
 仏像などたくさん見たと思うのですが、ほとんど印象に残っていません。(しようがないわねえ)

 日本人墓地ではウズベキスタンの人たちがボランティアで掃除をしてくれていました。添乗員の滝口さんの、「お礼の気持ちをわたしてください」という助言で、みなさんがウズベキスタンのお札のスムを渡しました。わたしも1000スム渡して握手しました。

 そのあと、地下鉄乗車体験をしました。
「乗り過ごしたら、日本へ帰れませんからね」ときびしく言われたので、みなさん緊張してチケットを手にして改札口を通りました。電車の中ではみんな散らばらずにかたまっていました。
 たくさんの人が、人種もさまざまでごったがえしているので、添乗員さんがきびしくなるのも当然です。いいおとなのわたしたちは修学旅行の子どもたちみたいにすなおに言うことを聞いて行動しました。
 3駅乗って終点までいき、また同じ駅に帰って来ました。
(なんのためかなあ)とも思ったけれど、電車にはさまざまな人種の人たちがそれぞれ見慣れない衣服をまとって乗っていたので、おもしろかったです。

 個人の自由行動で地下鉄に乗るとしたら、チケットの買い方などが日本とだいぶ違うのでとまどうと思います。けれど、まごまごしていると、知らない人たちがすぐ教えてくれるのでなんとかなるとも思いました。

8 帰国

 夕方、地下鉄乗車体験のあとはタシケント空港へ向かいました。
 今夜は機中泊です。添乗員さんから空港で夕食用の弁当をわたされましたが、「また、機内でも食事がでます」とのこと。なんで、そんな二重のことをするのでしょう。資源のムダです!
 それでなくても、荷物はへらしたいので、たくさんの人がそばにあったドラム缶のような上にその弁当をおいてきました。わたしらもです。だれかが食べてくれたら、むだにならなくてありがたいなと思いながら。

 インチョンを経由して成田空港行きの機に乗ったら、来る時とおなじアテンダントの女性がいて満面の笑みでむかえてくれました。
 相棒と席がはなれてしまったけれど、ちょうど日本人女性が相棒のとなりだったので、交換してもらえて助かりました。

 翌日、お昼過ぎ。だいたい定刻通りに成田空港に到着。
(ああ、無事に帰れたのがいちばんよかった)と思いました。

 中東のシルクロードの地を踏めたのはとても貴重で心にのこりました。
 いつもの旅とちがって、ほとんど団体行動で自由に街を歩きまわることはできませんでした。これはウズベキスタンの国の方針なので、合わせるしかありません。
 ウズベキスタンは中東でも犯罪などが少ないとガイドブックにありました。シルクロードの要衝の地でたくさんの人たちが行き交っています。島国でのんびりそだったわたしらには想像できないことが起きるかもしれないので、団体行動は安全でべんりなのだと思うことにしました。めでたし。