(平成十九年 アンデルセンメルヘン大賞入賞作品)
天空産おでん種(だね)
ピューと木枯らしが吹いたその日、主婦の有江さんは「夕飯はおでんでいいや」と、なんとなく決めて買い物にでかけました。
結婚したばかりの頃は、料理本を見たりレシピを検索したり、材料をしっかりメモして買い物に出かけたりしたものだけど、四年も経つと毎日同じ作業の繰り返しに少し飽きてきて、最近の有江さんは大雑把になりがちでした。
おでん種ってこまごまいろいろ買わなくちゃいけないし、けっこうわり高。それに栄養のバランスも悪いし、長い間煮込まなくちゃいけないし、材料持って帰るの重いし、あーん。でも寒くなってきたこの晩秋、温かいものが食べたいし、でも、重いし・・。
有江さんはスーパーの売り場をうろうろしながら頭の中がぐるぐる定まらない自分にイライラしていました。
ここんとこ、どうしてか心が華やがない。新婚だったあの頃は、毎日いろいろメニューを考えてはあんなにうきうきしてスーパーでお買い物していたのに、最近の心の張りのなさはどうよ。
有江さんはぶつぶつ言いながらスーパーの野菜売り場あたりを歩いていました。
すると、奥の特設コーナーからバリトンのように張りのある声が有江さんに降りかかりました。
「テンクー、テンクーサン」
「テンクーサン?」
有江さんは聞きなれない言葉に立ち止まりました。
「そこの奥さん、テンクーサンのおでん種はいかがですか」
「テンクー山? それどこの山ですか」
「山ではありません。天空産です」
「テンクウ? もしかして中国?」
「いえいえ、天空、大空のあの天空ですよ。天空産、メード・イン・天空」
空?そんなわけないでしょ、と思いつつ、なんか面白そうと思って有江さんはその店員のそばへ寄ってみました。
スカイブルーの木綿地に「天空」と朱赤で染め抜かれている前掛けを小太りのウエストにきちっと締めた店員は、高い頬骨がやけに赤く、うっすら禿げ上がった少しイケてないおっさんでした。
おっさんが指し示すショーケースの中にははんぺん、がんもどき、たまご、ナルト、こんにゃく、といつも有江さんが作るおでん鍋に入れている一般的なおでんの種がならんでいました。
「なんだ、ふつうのおでん種じゃない」
そう言って有江さんが踵を返そうとするとおっさんの店員は呼び止めました。
「奥さん、これは天空産ですよ」
「だから、どうだっていうの」
「この天空産おでん種と出会ったあなたはとてもラッキーな人なんですよ」
「ラッキー」という言葉に心惹かれた有江さんはついつい足を止め、ショーケースをじっくりのぞきこみました。
おっさんはにこにこしながら説明します。
「これなんかどうです、このはんぺん。真っ白でふわふわで美味しそうでしょ」
「見たところ、ただのはんぺんだけど」
「これは世界最高峰エベレスト山を漂っていた大きな雲海を三角に切り取ったはんぺんなんですよ」
有江さんの目は点になりました。
「!んな、わけないでしょ」
「いえいえ、なにせ天空産ですから。そしてこのがんもどきは、ハワイのキラウエア火山が噴火して飛び散った粉塵を集めてまるめて作ってありますからとても香ばしいんです」
「ハワイ島のキラウエアなら私、新婚旅行で行ったわよ」
思わず有江さんは叫びました。有江さんの脳裏には、夢のように楽しかった新婚旅行先のハワイ島でのドライブがくっきりと映し出されました。
「ほら、思い出の詰まった旅のがんもどき。ご主人様喜びますよ」
すっかりおっさんの話のペースにはまった有江さんは目をきらきらさせて説明に聞き入ります。
「このナルトはアテネオリンピックの時にかかった栄光の虹のかけ橋を切り取って作りました。ほら、七色のグラデーションがみた目もきれいでしょう」
「ああ、あの男子体操が金メダルを取った瞬間ね。私感動しました」
そう言うと有江さんの頬は紅潮し、目はうるうるしてきました。
「ほら、このこんにゃくは一番のお買い得ですよ。なにせ太陽系の星屑を集めて冷やして固めて作ったんですから」
「ああ、このぶつぶつの模様は星屑だったのね」
「そういうことです」
「太陽系と言えば、冥王星が惑星の仲間に入れてもらえなくて残念でしたね」
「こんにゃくにする星は、学会のルールとは関係ないんですよ」
「そしたらこのこんにゃくには冥王星も入っているんですか?」
「そういうことです」
有江さんはすっかり天空産おでん種に夢中です。
「最後にこの月でできた卵はいかがですか。これを食べると宇宙旅行をめざせるぐらいパワーが出ますよ」
「エエ!月まで食べちゃうんですか?」
「はい」
仰天しつつも、すっかり気に入ってしまった有江さんは叫びました。
「はんぺん、がんもどき、ナルトにこんにゃく、月のたまご。全部二つずつちょうだい」
「奥さん、残念ながら月のたまごは一個しかありません」
「わかったわ。じゃあ、たまごは一個で」
「はい、かしこまりました。では夕方までにお届けします」
「え?届けてくれるの?」
「もちろん。天空産ですから」
すっかりうきうき気分になった有江さんは家に帰るやキッチンに立ちました。
最近ではインスタントで済ませているおでんのだしを、今日は本格的に昆布とかつおで手間をかけてとることにしました。
鼻歌を歌いながらおでんだしを温めていると、ピンポーンとドアベルが鳴りました。
有江さんがインターホンに出ると、
「天空産おでん種、お届けしました」という声がしました。
有江さんが玄関のドアを開けたその瞬間でした。ボアッという音とともに光の束が入ってきて、いきなり部屋がぐるぐる回りだしたのです。
テーブルも椅子も花瓶の花もぐるぐる回ります。それに合わせてさっき注文したおでん種が天井からくるくる回りながら降ってくるではありませんか。
降ってくるおでん種と回る部屋。有江さんはとうとうめまいを起こして床に倒れてしまいました。
グツグツ、グツグツ
コンロから聞こえる音で有江さんは目をさましました。見ると、お鍋の中ではがんもどきやらはんぺんやらこんにゃくが鍋をいっぱいにしておいしそうに煮えていました。
「わあ! ちゃんと届けてくれたのね。ありがとう」
有江さんはおでんの味見をして、その出来上がりに満足してうなずきました。
「・・というわけで、今日のおでんは天空産のおでん種なの」
ご主人とあつあつのおでん鍋を囲みながら有江さんは説明しました。
「へえ、そりゃ美味しそうだね」
ご主人は有江さんのする天空産の話をうんうんとうなずきながら疑いもなく聞いてくれました。いつになく明るく楽しそうな有江さんの様子がご主人には嬉しかったのです。
たまごに箸をのばしたご主人に有江さんは上機嫌で言いました。
「そのたまごはね、なんと月の・・!」
有江さんは言いかけてハッと思いました。
「まさか・・」
そして窓越しにこわごわ夜空を見てみました。
「月、あるかしら・・」
有江さんの心配をよそに、その夜の月はまんまるの満月でしっかり夜空にありました。
有江さんはホッとし、その夜は久々にご主人とたっぷり会話をし、おいしい時間を過ごしたのでした。
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